橘寺にて

卵塔に止まず注ぐよ法師蝉

集団となると輪唱しているようだ。

いったい何匹いるかの見当もつかないくらいだ。一匹でさえ飽きもせず繰り返し繰り返し鳴いて賑やかな蝉だが、いったいあれは何の経文を読んでるんだろうか。
さすが橘寺の法師蝉である。

蝉の声鐘の音

鐘涼し真神が原をさまよへば

いろいろ季材を探すのだが、これぞ秋というシーンはまだ少ない。

法師蝉も一声きり、桔梗も暑さのせいか元気がない。
早稲などは穂が育ちつつあるところもあるが、盆地のほとんどはいまだ花すら咲いてない。いまだ青田である。
きれいな水が流れる田には田螺が這い回る跡が目立つ。蜷の道だ。
そうこうしながら飛鳥をさまよっていると、飛鳥寺の鐘が聞こえてきた。この時期観光客もまばらで、耳に届くのはこの鐘の音と蝉の声。涼しさで言えば鐘の勝ちである。

自己責任

時期ずれの帰省の報も次子らしき

突然に帰省するという。

この気まぐれもいかにも次子らしい。
社会に出れば、最低限の知恵も備わるだろうから、好きなように生きて好きなように暮らすがいい。
それにしても、「自己責任」という名で生きにくくなった世であることよ。

大夕立

朝顔や保育児送る日々のまた

盆休みが終わって、お隣に静けさが戻った。

二児とも学童保育、幼児保育で昼間はいないので窓はしまったままだが、去年採った種から育てたという朝顔がいっぱいフェンスにからまっている。
昔からよくある紫がかった紅色で、この暑さを堂々と咲いている。
水やりは帰宅後されているようだが、今日は久しぶりの夕立でそれも不要のようである。
それにしても、今日の雷はしつこい。何時までも、稲光もなくただいつまでもゴロゴロと鳴るだけで、雨ともにいっこうに止む気配がない。
外に出ると、日中かんかんに照らされていた大地の熱が水蒸気とともにたちあがって、息がむせぶほど蒸してくる。雨後の涼しさなんて期待できるのだろうか。

ベスト4

甲子園残り四校涼新た

家人がボールペンをもって何やら書き込んでいる。

どうやら、それは新聞の折り込みについてきた、全出場校が載った甲子園のトーナメント表のようである。知らない間に取っておいたものだろう
今日ベスト4が決まった。
その戦績の軌跡が太くはっきりと記されて、破れた幾多の高校の名を思い起こすことができる。
明日は休息日。
準決勝、決勝の熱戦を期待したい。

聞き分ける

わんわんとうなるなかにもかなかなと

仏壇で朝の挨拶をしていると、たしかに聞こえた。

ジージー、ミンミン、いろんな種類の蝉の合唱のなかからかすかにかなかなの声が。
読経を終えてあらためて耳を澄ませて聞こうとしたが、それはもう一回切りだったようで、本格的なヒグラシの季節はもう少し先になりそうである。
まずその前にはつくづく法師が来なくては。

木造家

白粉花の暮れゆく二軒長屋かな

そろそろ白粉花の季節。

この花の名を口にするだけで、幼い頃の記憶が蘇ってくる。
昭和の20年代というのは、住宅復興もまだまだ進まず公営住宅に入ろうにも高い倍率であった。たまたま市営住宅に当たったとき、「宝くじに当たったようなものだ」と父は口癖のように言うのであった。
そのせまい平屋住宅を飾るでもなく白粉花が咲いて、それが妙に木造の二軒長屋には似合うのだった。