伏流水

川端に飯粒沈む秋の水

関西には「川端(かばた、また、かわばた)」と呼ばれる水場が多い。

清冽な伏流水が豊富に得られる土地ならではの風景で、有名なところでは滋賀県高島市針江地区、梅花藻でも知られる彦根市醒ヶ井地区などがある。
針江地区では比良山系の伏流水が各所に湧いて、これを飲料や炊事などの日常用水として巧みに利用されている。伊吹山系の伏流水が豊富な醒ヶ井では鱒の養魚が盛んに行われ、五十年近くも前に遠足で訪れたことが懐かしい。
同じように、関西以外でも鳥海山麓など豊富な湧水があるところでは、集落で共同利用することも見られ、上は飲料、中は炊事、下は洗い物用として利用する暮らしぶりがいまだに守られているところもある。
伏流水というのは水温、水量とも一年を通して変わらず、夏は冷藏庫の、冬は温水器代わりのエコライフを支えるが、水澄む秋は大根や芋を洗っては菜屑が流れたり、畑仕事後の鍬などの泥を落とてもすぐに透明な水に戻ったり、ひときわ趣が深い。
ここ、大和盆地には伏流水と呼べる湧水はないが、洞川など山間部に入れば大峯山系からしみだす名水が得られ、それを利用した豆腐などの特産物が知られているが、共同水場という風景は今はもう姿を消したのであろうか。

脂身

小鳥來て稿の進まぬ書斎かな
枝に刺す牛脂目当ての小鳥来る

散歩シーズンがやってきた。

あの夏の暑さでは外を歩く意欲すら湧かないが、これから冬鳥のシーズンとなると少々寒くても全然気にはならない。むしろ、わずらわしい汗に悩まされることがないので、距離だって伸びる。
怠けたはずみで増えた脂身ともおさらばしたい。
脂身と言えば、ふだん目にする鳥はひまわりの種を好むものだが、むしろ牛脂などを好んで食べる種類がいるようだ。虫など動物性のものを食べるものなら、いける口かもしれない。

暖房便座

捨猫を飼ふと夜寒の腹くくる
洋便座尻にしみいる夜寒かな

昨日より長風呂となった。

湯温も夏温度から冬温度へ。湯上がりのパジャマも長袖に。
暖房便座も夏の間は無用の長物でしかないが、今日からはオンに。
昔に比べれば座れるだけ腰にありがたいのに、そのうえ暖かいなんて。
先月迷い込んできた子猫も日に日に大きくなり、胴体がぐんぐん伸びて長くなってきた。手足もまたすこぶる長いので、大型猫になるのは必定。身長の伸びに肉が追いつかないと見えて、なかなかふっくらとした赤ちゃん猫らしくならない。様子を見ながら餌の量を増やしているのだが、これ以上やると肥満児になるかもしれず、さじ加減がむずかしい。
推定では生後二か月というあたり。里親を探すにはいいタイミングだが、情が移ってしまってるのでこのまま飼い続けることになるだろう。

拾い歩く人

教団の街の並木の薄黄葉

銀杏並木の絵となると神宮外苑がすぐ頭に浮かぶ。

ことに晩秋の落ち葉を深く敷いた光景は印象的である。
キャンパスに銀杏並木も多いが、さしずめ北大が最有力といったところだろうか。
当地では、天理市の街路樹のこれからが素晴らしい。特に、大学前の目抜き通りなどは一見の価値があり、石上神社へゆくついでと言ってはなんだが、立ち寄ってみるのも一興であろう。
今日は、大和川をはさんで対岸の住宅地では、早くもポリ袋を片手に銀杏を拾う姿を見かけた。
街路樹というのは落葉樹だから、これの種類も大きさも揃った街路が、これから一年でもっとも美しいシーズンを迎える。

情がじゃまして

西望む挽歌の歌碑の秋の声
弟背とも背子とも詠みて秋の声

桜井市の二上山を西に望む吉備池畔にはふたつの歌碑がある。

ひとつは大津の辞世の歌とされる「もゝつたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲がくりなむ」であり、もうひとつは大伯の「うつそみの人なるわれや明日よりは二上山をいろせとわが見む」。
文武に秀で万葉に懐風藻に名を残した大津皇子の大ファンである私は、姉弟の歌碑が並び立つという事実、もうそれだけで胸が絞られるような切なさがこみあげてきて、そんな情がじゃまをしてなかなか句を授からない。

放心の後ろ姿

逝かるべき母の秋思の気高くも

今日は八回目の母の忌日である。

母は人一倍の暑がりで、その年の秋が訪れても毎日クーラーが欠かせず、それでも暑い暑いと訴えるのだった。
ある日の夕方、気がつくと網戸を開けて何を考えるのか、まるで放心したように柱にもたれては外気に触れるのを見た。
その後ろ姿はどこか気高いものを感じさせ、声をかけるのさえためらうのだった。
そのあと、一か月もしないうちに母は旅立った。
今朝はいつも以上に時間をかけて心経を供えた。

無事に

颱風を追ひ打つごとく夕茜

不気味な雲が西へ飛んでゆく。

あきらかに台風は去ろうとしているのは分かるが、その黒雲がこれまた不気味にも夕焼けているのだ。
ただそれは尋常の色ではなく、橙がかった色が雲といわず空全般に広がっているのだ。
なにやら不吉を思わせるゆうやけで、これから上陸するという静岡、関東の無事を願うのみである。