無上の食べ物

早稲の香や迫田を奔る山の水

今でこそ全国的に有名だが、かつて熊野の丸山千枚田はひなびた山村であった。

バスは日に三便のみ、新宮と熊野の奥地・神川町を結ぶボンネットバスが、あえぐように風伝峠にたどり着いてそこで一服したあと、再び目的地へ向かう。
やがて目の前に千枚田の丸山が開けてきて、そこを大きく縫うようにしながら、ガタガタの道をバスは行くのだ。お盆休みくらいしか帰らないので、収穫が近くなった千枚田の風景は知らないが、青々とした稲田が一面広がっている光景は今でも思い出すことができる。
終点一つ手前の集落が父や母の郷で、南側に山を控え田も狭く畑だって石がごろごろしているような、それこそ寒村という言葉がぴったりの鄙びた村だったが、村の中央には南北朝時代の砦跡があって、それが南朝方の豪族の名を冠した神社となっているのだった。熊野川上流のこのあたり一帯は、南朝方に与して親王をお迎えして戦ったという気骨だけが残っているような空気もあったのだが、今や消えゆくのを待つと言うだけの限界集落となってしまっている。
夏は鮎、秋は山で採れた見たことのないような茸、それぞれに忘れられない味覚が体にしみついていて、今でもときどき鮎の甘露煮、鮎の出汁を使った素麺が無性に食いたくなる。これだけは全国のどこにも負けない無上の味だと信じているのだ。

瑞々し

ある晴れた九月の朝に蝶生まる

秋の蝶というと弱々しいのが季語の本意である。

が、今の時期でも羽化する蝶がいるのだ。
日課の水栓で水を汲もうとしたら、目の前でその朝羽化したばかりと見える揚羽蝶がゆっくり翅を動かしている。生まれたばかりだから翅や胴体は何の傷もなくみずみずしく映る。
しばらく見ていると、その頻度がちょっとずつ上がってくるのが分かる。もうすぐしたら飛びたとうという構えだ。
昼前に再びその場に行くと、もう揚羽蝶の姿はなく、羽化したさなぎの殻が残っているだけだった。

陰の子規忌

立待の宵を隣家の早仕舞

三連休のはずだが隣家が静かである。

昨日、今日と遊び疲れて早寝なのかもしれない。
明治35年9月19日、旧暦でいうとその日は8月17日で子規の命日であった。床に伏したまま月の出を待つことなく子規が逝った日である。つまり、子規忌とは9月19日を指すが、今年の9月15日は陰の子規忌であると言ってもいいかもしれない。
合掌。

色失えど金は金

十六夜の坂の下なる大仏殿

寧楽坂を降りてくると真っ先に大仏殿の大屋根が目に飛び込む。

深い松林のなかに、屋根の部分だけがぽっかり浮かぶように見えるのだ。
三笠山、春日山の影にあるから、十六夜の月が顔を出すのはさらに遅れて、その月が東大寺を照らす自分はそれなりの高きにあって、東大寺の地苑をいやが応にも明るく照らす。
銀色にかがやく大屋根の鴟尾も色こそ失えど輝きは銀に蒔けない。
昨日は無月だったので、今夜こそじっくり眺めてみたいものだ。

空気を読まない花

一日の始めの駅にカンナ咲く

さあ、これから出かけるぞと思っていると、目の前にカンナが飛び込んできた。

ホームから線路をはさんだ斜面に原色のオレンジ色の花が咲いている。
今日もまた暑くなるぞと覚悟する日差しに照らされて、その燃える色にますます暑さがつのってくるのだった。
カンナというのは、不要なほどに大きくて、残暑でうんざりしているときにも遠慮なく自己主張しているようで、周りの雰囲気にはそぐわない、いわば空気を読まないようなところがあって好きでは無いのだが、吟行に出かける朝などに見かけるとムチを入れてくれて自覚を持たされるような花なのである。

剝落隠しようなく

バス降りて一ㇳ日の旅の鰯雲
瓶口に牧のミルクの爽やかや
変哲のなきコスモスの寺なりし
コスモスの花の名借りて露の寺

今日のまほろば吟行はコスモス寺の般若寺へ。

平城京の鬼門を守る寺で、例の重衡の南都焼き打ちにあったことでも知られ、鎌倉時代の再建を経て今日に至るが、さしもの古刹もいくばくかの剝落は隠しようがないようである。
それを補うべくと言うことであろうが、境内にコスモスを育てて参拝客を呼ぼうということだが、寺のあちこちのほころびに心なしかあはれを催す。
気分転換は寺の裏、というか寧楽坂の街中にある小さな牧場を見学して味の濃い牛乳をいただいたこと。

兵法者

蟷螂の雨に遁げ出す草の蔭
蟷螂の退くときは退く兵法者

どうやらかまきりは水が嫌いらしい。

散水の水が苦手のようだし、突然の雨にもファイティングポーズとるどころか、一目散に草蔭に逃げ込もうとする慌てぶりは滑稽ですらある。
けだし、三十六計逃げるにしかずを地でゆく兵法者であろう。