冬菜畑

保留地の畑の隅の雪中花

水仙の別名である。

雪の中でも花を咲かせるということから名づけられたという。
持山を開発して大きな団地を作り、地主が一定の土地を割り当てられたものが保留地と呼ばれ、造成が完了すると正式に自分名義の土地となる。
まだまだそういった空き地が目立つ団地だが、近くに住む地主が菜園として利用しているケースが多い。
そういったもののひとつが駅までの途中にあって、いつも丁寧に畑作をしているお宅がある。今日気づいたのだが、大事に霜除けされた莢豌豆など、整理された冬菜畑を囲むように水仙が群れている。
菜園としては珍しいくらい美しい畑で、それを小さな水仙の群れが見守っているという図式に思わず足を止められたのである。
それは美しい冬の景色であった。

生きる証

寒禽の車に落とす白いもの

駐車中の車のなぜか同じ場所ばかりやられる。

烏なのかヒヨドリなのか。
とにかくちっちゃな鳥ではなさそうな量である。
燐を含むというからボディの塗装膜を痛めるというから見つければ洗い流すしかないが、ここでも洗っても洗っても落としてゆくものとのいたちごっこである。
餌の少ない冬を越せるかどうかは鳥たちにとってはむろん死活問題であるが、落とし続けることが生きる証となる。

生糠

園丁の袋逆さに寒肥す

業務用の大きな袋から直接庭木の根元に施肥している。

石灰と一緒に寒肥しているようだ。
寒肥は袋の文字から油粕と分かる。
本当は発酵したもののほうがいいのだろうが、まだ寒の内だから生のようである。
だんだん暖かくなるにつれ発酵が始まって春にはいいかげんになるのである。
そう言えば、家庭菜園が得意の渓山さんは生糠だと言っていた。土に混ぜ込んでやればこれも二ヶ月もすればいい肥料になるのだろう。
梅とか柿とか、花や実を楽しむものには今が寒肥の季節である。
あいにくここしばらくは雨模様ときたが。

ご自由に

除湿器にマスクの眼鏡くもりけり

診察券を出すが早いか、マスクをつける。

月一度薬をもらいにクリニックへ行くのだが、インフルをもらっては大変だから受付カウンターに「ご自由に」とあるマスクを一個もらう。日常マスクをすることはないが、都会に出たり、今日みたいにクリニックにいくときは予防のため必ず使用する。
眼鏡をしてじた時分はこれが厄介で、満員の電車、暖房を効かせた部屋などでは曇りとの戦いである。
内科クリニックでも除菌を兼ねた除湿器の白い霧がもくもくたっており、エアコンが入っていてもそれなりに湿度が保たれているから、瞬間周りが真っ白ということも珍しくない。
老眼がすすむとともに近眼が治ってきたのが不思議で、もう7、8年は眼鏡なくても不自由しなくなったから、マスクの敵はなくなったのだが。

これで大寒?

ショッピングカート二人で曳いて春隣

空も山もすべてが霾るように曇っている。

景色はもう春である。今日から大寒というのにである。
スーパーマーケットまで買い物に行く途中そのことにしきり話がおよぶ。
ようやく、大峯や高見山が冠雪した景をみせてくれるようになったばかりと言うのにである。
風も強くて立春はまだだが春一番と言ってもいいくらいである。
今週の予報も暖かい日がつづくと言うし、早咲きの梅の便りもちらほら聞こえる昨今である。

知恵比べ

自治会の議題にのぼる寒鴉

当自治会のあまたあるゴミ集積所のなかで、特定のものだけが鴉の被害になっている。

そこは人があまり通らない、言わば生活の場所からも死角になってポイントであるらしい。鴉は頭がいいとは言うが、野良の生きもの全般にとって生きていく上での当然のことなのであろう。
場所を変えるとなったら、それはそれで住民の間でもめることは避けられないし、結局鴉との知恵比べしかなさそうである。
そういう問題が今日の幹事会で話題になり、もはやネットをかぶせるだけの対策では防げないので、試みにブルーシートで覆ってみることが決まった。どこまで効果があるかは分からないが、様子を見ていくしかなさそうである。

カーボン全盛

悴みて和竿をしぼる床几かな

カーボン全盛の時代であるが、竹沢の趣は捨て難いものがある。

「和竿」、すなわち竹の釣り竿のことである。
高価なこともあって、もう趣味の領域を超えている。
最近はヘラブナ釣りくらいでしかお目にかかれない。
最近はカーボン竿もよくできているので、釣り堀で和竿をみかけたらよほどのこだわり人だとみてよい。
当地へ越してくるとき、海のない県ということで釣り竿セットはすべて処分してきた。たまには海へ行きたいと思うのであるが、